こんにちは!ガールズオピニオンのパートタイムブロガー、ゆうかです。今日は、最近京都大学で起こった出来事について、軽ーい感じでお話ししたいと思います(≧▽≦) 京都大といえば、名門中の名門ですが、先日、立て看板(通称タテカン)撤去に関する裁判がありました。その判決が「違法とはいえない」ということで、色々と私の頭に浮かぶことがあるんです。
というのも、学生の表現の自由や、大学の文化のあり方について考えると、単なる法律的な問題だけではなくて、もっと深い部分に触れているような気がするんです。それに、タテカン文化って、大学生活の一品とも言えるんじゃないでしょうか?✨
さて、簡単に振り返ると、京都大学は市の条例に基づいて、キャンパス周辺の立て看板を撤去したわけですが、職員組合が「この条例は憲法に違反している」ってことで裁判沙汰にしました。結果的には、「違法とは言えない」という判決が出たわけなんですけど、私が気になるのはそこじゃなくて、タテカンにまつわる文化的な部分。( ̄▽ ̄)
学生たちが自分たちの意見を表現する場として、タテカンは長年にわたって存在してきました。しかし、判決では「大学が明示的に許可していたわけではない」とも指摘されていて、この辺りが非常に面白いポイントだと思うんです!確かに、法律がどうであれ、大学の「空気」って、無形の伝統や文化の部分によって作られるものなんですよね。
それにしても、タテカン文化が「景観を作ってきた」と原告側が主張するのもすごく興味深いです!例えば、私たちの大学時代、友達と一緒にタテカンを作って、アピールしたこともあったなぁ。あの時の楽しさと一体感は、今でも忘れられません(●´ω`●) でも、一方で、グラフィティみたいに過激な表現があって、景観を壊しちゃうこともあるから、そのバランスって難しいですよね。
「タテカン文化」が無くなってしまうことは、大学の自由な表現の場が狭まることを意味しますが、それに対抗する形で新しい形の意見発信方法が出てくるのではないでしょうか?やっぱりSNSが盛んになって、リアルタイムで意見を共有できる時代だから、そうした変化も当然に起こると思うんです。
これからの大学生活では、立て看板の代わりにオンライン上で意見を発信するスタイルが主流になっていくのかもしれませんね。それでも、私はタテカンのような、直接的な表現が大好きなので、何かしらの形で復活してほしい気持ちがあります!(≧▽≦)
結局のところ、タテカン撤去問題って、単に法律と表現の自由の話にとどまらず、大学文化や学生たちの声、世代間の価値観の違い、さらには今後の意見発信のあり方にどう影響するのか、いろんな側面を考えさせられる話題なんですよね。個人的には、学生たちが自分の意見を大切にして、積極的に発信できる場所があってほしいし、その過程で新しい文化が生まれることを期待しています。
この問題を通じて、大学という場所の持つ意味や価値を再考するべき時期が来ているのかもしれません。皆さんはどう思いますか?意見の違いがあっても、それが新しい価値を生む場になりえると信じている私ですが、あなたの考えもぜひ教えてね~!(●´ω`●)