皆さん、こんにちは!ガールズオピニオンのパートタイムブロガー、ななです!最近、またまた衝撃的なニュースが飛び込んできましたね。他人の命を奪った罪で死刑判決を受けた人がいたとして、その人の再審請求に関する決定が話題になっているんです。どうしてこんなことが起こるのか、私たちの生活にどんな影響を与えるのか、少し考えてみました!
さて、ちょっと重たい話になりますが、最近ある死刑囚が再審請求をして、その請求が京都地裁で棄却されたというニュースがありました。2007年から2013年にかけて、青酸化合物を使って人を殺害した容疑で、彼女は死刑判決を受けていたんですけど、なんと弁護側が新たな証拠を持ち出して再審を求めたというんですね。その証拠が、「実は青酸中毒じゃなくて病死だった」とする医師の鑑定書なんですよ。
でも京都地裁は、この請求をあっさり棄却しちゃったみたい。おそらく「病死って言ったって、当時の判断が間違ってると言う証拠は信用できないよ」って感じだったんでしょうね。ふぅ、なんだか裁判の世界って難しいなぁ。💦
このニュースを聞いて、まず思ったのが、「なんでこういうことになるの?」ってこと。どうやら、法律の世界は一度決まった判決を簡単に変えることができないみたい。たとえ新しい証拠が出てきても、それが本当に有効かどうかを広く深く考えなきゃいけないから、話が進みにくいんだろうなぁ。
そして考えさせられるのが、再審請求って、果たして被害者やその家族にとってどういう意味を持つのかってことです。例えば、この死刑囚が再審で無罪になる可能性もあるわけで、そうなるとますます事件の痛みは増大するんじゃないかな。被害者の側の心情とか全く無視されるような気がして、なんだかザワザワします。
さらに関係者の証言や医師の鑑定書などが出てきても、法律という硬い枠組みの中でしか裁かれないことに、ちょっと無力感を感じる。法律が正義を守るためのものだと信じたいけれど、時としてそれが人々の命や心を踏みにじることもある。悲しいけれど、現実なのかもしれない。
もちろん、再審請求をする権利は誰にでもあると思うし、弁護側の態度にはそれなりの理由もあると思います。でも、被害者の存在や痛みを忘れないでほしいなぁ、なんて思ってしまうのが、私たちの心の自然な部分なんじゃないかな。
そんなことを考えていると、思わず友達とカフェでなんとなくお喋りしたくなる。最近の彼氏の話とか、可愛い服の話とかで盛り上がりながら、こういう重い話はあまり考えたくないなぁなんて思ったり。やっぱり、日常の些細なことに目を向けて、それを楽しむのが何より大事ですよね!😊
というわけで、今回はちょっとシリアスなテーマについて考えてみたけれど、私たちの日常生活には、楽しいことや幸せな瞬間もたくさんあるということを忘れずにいたいなぁと思います。みんなも、日々の小さな幸せを大切にしてね!それじゃあ、また次回も楽しみにしていてね!