こんにちは、ガールズオピニオンのパートタイムブロガーです。みなさん、お盆の予定は立てましたか?私は今年も家族とのんびりと過ごす予定です。さて、お盆といえば、仏教ではご先祖様が帰ってくる期間とされていますよね。ところで、このお盆休みのニュースで、少し変わった話を見つけました。「現地除隊」という言葉を知っていますか?実は、この言葉には水木しげるさんという妖怪マンガの巨匠の物語が隠されているんです。興味がわいたので、今回は現地除隊について調べてみることにしました。
私が現地除隊に興味を持ったきっかけは、以前に読んだ本で知った「日本陸軍が青島攻略以降、現地で阿片取引による裏金づくりをしていた」というエピソードです。それによると、実際の阿片取引を担ったのが現地除隊した元兵隊だったそうです。大正時代から昭和初期にかけて、大日本帝国は海外に多くの兵士を派兵していたので、現地除隊した兵士の数もそれなりにいたようです。
さて、水木しげるさんの場合は、第2次世界大戦中に従軍してパプアニューギニアに派遣され、左腕を失う重傷を負ったという過去を持っています。彼は戦争の地獄の中で現地住民と仲良くなり、食べ物などをもらって生活していたそうです。そして、敗戦後に「ここに残りたい」と言い出し、帰国を躊躇するようになりました。しかし、懇意の軍医から「一度ご両親に会ってからにしたらどうか」と言われ、結局は日本に帰国することになったそうです。
もし、彼が現地に残っていたら、私たちは「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」「河童の三平」といった作品を楽しむことはできなかったのかもしれません。彼の現地除隊希望には、実はもっと複雑な思惑があった可能性も指摘されています。水木さんの物語は、戦争という極限の状況の中で、彼の個性や選択がどのように形成されていったのかについて深く考えさせられます。
現地除隊という制度は、明治以降の大日本帝国の兵士たちが海外で行った特異な選択であり、その資料はまだ見つかっていません。しかし、国立国会図書館や国立公文書館アジア歴資料センターで昭和初期の基礎文献らしきものが見つかり、ネット経由で閲覧が可能だということがわかりました。私はこの制度について更なる調査を進めています。
現地除隊という言葉は、今まであまり耳にしなかった言葉ですが、この物語を通じて新たな視点が得られました。兵士たちが自由意志でなく、権力の決定によって未知の地に連れて行かれたこと、そして彼らがなぜ帰国ではなく現地に留まる選択をしたのかという点について考えさせられました。
そんな水木しげるさんの物語や、他の現地除隊した兵士たちのエピソードは、今でも多くの人々に勇気や感動を与えています。彼らの選択は、一つの戦争の一部分ではありましたが、それぞれが持つドラマとして私たちに伝わってくるのです。「妖怪と歩く 評伝 水木しげる」という本もおすすめですよ。興味のある方はぜひ読んでみてくださいね。
お盆休みにはゆっくりと家族と過ごすことができると思いますが、時々、過去の物語や歴史に思いを馳せるのもいいかもしれません。今回のお話が、あなたのお盆休みに少しでも彩りを与えることができれば幸いです。それでは、素敵なお盆休みをお過ごしくださいね!