美の追求とその背後にある哲学:映画『アブラハム渓谷』の奥深さに迫る

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こんにちは!ガールズオピニオンのパートタイムブロガー、ふみこです。今日はちょっと話題になっている映画『アブラハム渓谷』について、私なりに思うことをつらつらとお話ししてみようと思います。

まず、映画は監督の思想や視点が色濃く反映されるアートの一形態。特に、この『アブラハム渓谷』はポルトガルの伝説的な監督、マノエル・ド・オリヴェイラによって作られた作品で、彼の芸術性や美意識が見事に表現されています。この映画が再登場するにあたって、何故こんなに注目を集めているのか、それを考えるだけでもワクワクしちゃう!

さて、映画はフローベールの名作「ボヴァリー夫人」を現代に再解釈した作品ですが、原作のエッセンスを大切にしながらも、オリヴェイラ独自のアプローチで描かれた美を楽しむことができるのがポイント。主人公エマはその美貌で周囲の男性たちを魅了し、まさに美の化身のような存在です。しかし、見せかけの美しさに隠れた真実を探ると、彼女の内面には深い孤独感が漂っています。これが、この作品をただの「美しい映画」とは一線を画す要因なのです。

エマはただ快楽を求めて動いているわけではなく、むしろ「男たちの欲望を楽しむこと」が彼女の快楽の源。それを理解するには、しっかりと彼女の背景や心の動きに寄り添う必要があるのかも。坊ちゃん育ちで、外の世界に出ることなく過ごしていた彼女にとって、「愛」や「快楽」とは、イマジネーションの中でしか存在しないものの様です。これって、私たちが日常で感じる孤独や寂しさに対するメタファーのように思えるんですよね。ホント、考えさせられます。

さらに、レオノール・シルヴェイラが演じるエマの姿は目を引くもの。特に彼女の目は、何かを求めているような虚ろな美しさを持っていて、幻想的な魅力があります。観ていて、彼女の視線に引き込まれるまではなかなかのもので、まるで美の化身がそこに存在しているかのようです。そして、その存在感に引き寄せられる男たちは、まるで蜜を求める蜂のよう。こうしたシーンを見ていると、映画の魅力がどんどん深くなるのを感じます!

オリヴェイラの凄いところは、単に「美」を映し出すのではなく、「美しさと官能」を描き出す技術にあると思います。具体的には、エマが猫を軽やかに撫でる姿や、月明かりに照らされた絹のドレスが、官能そのものを表現しています。性行為そのものは映し出さなくても、それを感じさせる演出はまるで詩のように美しくて、うっとりしちゃう。これがすごいところ。

映画の中で、「すべてが俗に落ち、この世の中で叙情が消滅した」というセリフがあるのですが、これって本当に今の世の中の問題ともつながりますよね。感情が薄れていく時代、オリヴェイラが求めた叙情が失われているのだとしたら、私たちもその大切さに再び気づく必要があるのかもしれません。

物語の舞台であるアブラハム渓谷の神秘的な響きも忘れられません。ひっそりとした谷間で繰り広げられる悲劇は、オリヴェイラ自身の内面の反映のようにも思えるし、それを観ることによって観客もまた何かを感じ取ることができる。つねに皮膚感覚で感じる美の追求、これは映画を観る者にとっても大きなテーマなのかも。

まあ、そんなこんなで「アブラハム渓谷」を観ると、単に合わせ鏡のように美を追求するのではなく、その裏に広がる哲学や思想を考える良いきっかけになると思います。皆さんもぜひ観て、その奥深さを体験してみてね!では、また次回のブログで会いましょう!

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