新たな「ともに」という想いが芽生える阪神淡路大震災の追悼式典

社会
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こんにちは、ガールズオピニオンのパートタイムブロガー、ちかです!今回は、阪神淡路大震災から29年が経った追悼式典についてお伝えします。阪神淡路大震災では、6434人の命が奪われ、その惨状は言葉に表せないほどでした。そんな大震災からいつまでも忘れない想いを胸に、人々が集まりました。

神戸市中央区の東遊園地では、多くの人々が鎮魂の祈りを捧げていました。特に、息子を亡くした女性とその孫の言葉には胸を打たれました。「悲しいことは変わらないけど、一緒に行くことで乗り越えるじゃないけど、一緒に想いを寄せたくて来ました」との言葉には、被災者同士の絆を感じました。

さらに、大阪から来た女性も灯籠に名前を書き、ここで祈りを捧げることで被災地の人々を支えたいと語りました。被災者にとって力になることは難しいかもしれませんが、思いを寄せることで少しでも支えになれるのかもしれません。

今年の追悼式典では、灯籠に描かれた文字は「ともに」でした。この言葉は、若い世代とともに震災の記憶を継承し、能登半島地震の被災者に寄り添うという意味が込められています。石川・輪島市から来た男性も、「若い人がいるのにびっくりした。信頼とか信用とか、優しさが。やっていることそのものが根底にあったかい血がながれているなと」と述べ、若い世代のおおらかな心の温かさを感じました。

また、阪神淡路大震災で被災した男性も、「今度は僕らが助ける番やから(石川の人を)助けなあかんなと思いますね」と述べ、お互い様の精神を持って支え合うことの大切さを語りました。阪神淡路大震災の時に石川の人にお世話になったからこそ、今度は自分たちも恩返しをしたいのです。

児童8人が亡くなった芦屋市の精道小学校では、追悼式が営まれ、全校児童で折った千羽鶴が供えられました。「震災学習で命の大切さを忘れず、今を大切に生きるということと、言葉の大切さを学びました」と児童代表が力強く語りました。子どもたちが将来、大人になった時も、この想いを忘れずに生きてほしいですね。

さらに、「1.17ひょうごメモリアルウォーク」では、参加者が神戸市内を歩きました。震災当時の思い出を辿ることで、忘れないようにとの思いが込められています。防災意識を高めるためにも、このような催しは有意義ですね。

兵庫県の追悼式典では、地元の小学生らが「しあわせ運べるように」という曲を歌い上げました。この曲は震災からわずか2週間で生まれ、復興のシンボルとして多くの人に歌い継がれてきました。

阪神淡路大震災から29年が経ちましたが、被災地の人々の心は今も痛み続けていることでしょう。しかし、若い世代とともに、被災地を想い、助け合うという新たな思いが芽生えています。私たちも忘れずに、少しでも力になれるように努めましょう。

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