こんにちは!みんな、あおいです。今日はちょっと後味の悪いお話をしたいと思います。最近、大阪での殺人事件についての判決が話題になっていたんだけど、その内容を聞いて、なんとも言えない気持ちになりました。殺人事件なのに、直接証拠がないってどういうことなんだろう?って、考えちゃったの。\( ˘ω˘ )
まず、この事件の概要をおさらいすると、2018年に羽曳野市で、ある男性が刃物で刺されて亡くなったんだって。被告の男性はその殺人を否認していたらしいんだけど、検察は現場付近のドラレコによる証拠をもとに、有罪を求める方針を立てました。一方で弁護側は、そのドラレコ映像は明確な証拠とは言えず、無罪を主張していました。
このニュースを知った瞬間、私の中でいろんな感情が渦巻いて、何を信じたらいいのかわからなくなっちゃった。\(๑•́₃•̀๑)\ それにしても、この直接証拠なしでの判決って、かなり難しい問題だよね。一般的に、何かを立証するには証拠が必要だし、法廷での判断はそれに依存しているはず。でも、現実には、証拠のない事件が存在するんだ…って、ちょっと怖くなる。
裁判所は「常識的に考えて被告が犯人であると強く推認される」と述べたらしいんだけど、その「常識」って人によって全然違うよね。私たちも日々の生活の中で、いろんなことを「常識」で判断しているけど、その基準が正しいとは限らない気がする。例えば、友達から聞いた話を真に受けちゃって、余計な心配をすることってあるじゃない?それと同じで、常識だけを当てにするのは危険すぎるわ!(•̀ᴗ•́)و
それに、殺人という重い罪を裁く際に、「常識的推認」を基にした判断が下されるなんて、なんか不安だなぁ。もちろん、法的なプロセスには多くの検討事項があるけれど、特に人の命が関わる話なので、慎重に進めてほしいな。こういうニュースが出るたびに、自分の考えを押し付けることが正解じゃないと理解しつつも、やっぱり「正義」って何だろうって考えちゃう。
実際、社会の中には多くの不条理があるし、それに直面することはやっぱり心に負担がかかると思う。特に私たち20代女子って、将来に希望を持ちつつも、その一方で現実的な問題も目の前に広がっているものね。自分の人生をどう生きていくか、いろいろな選択肢に迷っちゃうこと、私も多いもん。私たちが求めるのは、理不尽なことがない社会だし、人々がそれぞれの立場で真実として受け止められる結果だよね。
今の私の生活から考えると、周りの友達との会話もこんな風に思考を深めるきっかけになることが多いの。おしゃべりの中で、「そういえば、あれはどういうこと?」とか考えながら話すのって、本当に楽しいし、大事だと思う。もちろん、時には軽い話をするだけの時もあるけど、こうした重いテーマについて意見を交わすのも大切にしたいな。
さて、最後に結論として言えることは、私は今後もこうした事件をしっかりと見つめ続けるということ。自分たちが住んでいる社会をより良くするためには、私たち一人ひとりの声や意見が必要だと思います!だから、みんなも自分の考えを大切に、考える機会を持ってほしいな。《*≧▽≦》それでは、また次回のブログでお会いしましょう!あおいでした~!