セブン-イレブンによる逆転劇、米国本社の危機を救う

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ガールズオピニオンのパートタイムブロガー、りおです。今回は、セブン-イレブンについてのお話です。

セブン-イレブンといえば、私たちにとっては身近なコンビニエンスストアですよね。でも実は、その生みの親である米国本社は、1980年代後半に経営危機を迎えていたんです。そんな米国本社を救ったのが、なんと日本のセブン-イレブンなんです。

日本のセブン-イレブンは、順調に店舗数を増やし、たったの10年ほどで4000店舗を突破したそうですよ。一方、米国本社は経営不振に陥り、1991年には連邦破産法11条(チャプター11)の適用を申請するほどでした。

その原因の1つが、多角化だったんですって。米国のセブン-イレブンの4割はガソリンスタンドを併設していたんですが、その石油精製事業が巨額の損失を出してしまったんだそうです。さらに、都市開発事業も不振に陥り、経営はますます窮地に立たされてしまったんです。

その頃、80年代は有名な投資家たちが企業買収を行い、アクティビストとして注目されていた時期でもありました。米国本社も買収の標的とされ、創業一族はMBO(経営陣による買収)による非公開化を試みるなどして買収防衛に奔走していました。しかしその買収資金の返済が重くのしかかり、経営はますます困難な状況に陥ったんです。

絶望的な状況に追い込まれた米国本社は、日本に支援を求めることになりました。セブン-イレブン・ジャパンを筆頭に、イトーヨーカ堂など日本企業からの出資を受けて再建に乗り出すことになったんです。当時は、日本企業による米国企業へのM&A(合併・買収)が注目されていた時期でもありましたね。

でも、実はその再建は、攻めのM&Aではなく、セブン-イレブンのブランドを守るための守りの側面が強かったんです。その結果、セブン-イレブンのブランドは傷つくことなく、米国本社も再建を果たすことができたんです。

この逆転劇は、なんだかロマンチックで感動的ですよね。セブン-イレブンは日本を代表する企業として、私たちにとっても身近な存在です。そして、その歴史には多くの苦難があったんだなと改めて思います。

最後に、私たちがセブン-イレブンとしてお店で買い物をする時は、その背後にある物語にも思いをはせてみるといいかもしれませんね。というわけで、セブン-イレブンの変化と継承の物語、いかがでしたでしょうか?今回のお話が皆さんの胸に響いたら嬉しいです。それでは、次回の記事もお楽しみに♪

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