そこに残る大阪の歴史!謎の瓦ストリートの秘密に迫る!

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皆さんこんにちは!ガールズオピニオンのパートタイムブロガー、あすかです!今回は、大阪で話題の「謎の瓦ストリート」について調査してみましたよ~♡パソコンの前でわくわくしながらディープに大阪の歴史に迫っていきましょう♪

先日、京セラドーム大阪の近くに「謎の瓦ストリート」があるという記事を見つけてビックリ!なんと、尻無川沿いに約300mにわたって瓦が並んでいるんですって!これは見てみないとわかりませんね!さっそく行ってみたお♪

瓦だらけの景色が広がっていて、まさに「瓦ストリート」って感じです!建物の前にも瓦が置かれていて、まさに一体なんなのか不思議でした~💦でも大好きな大阪の歴史に詳しい友達・なおみさんに聞いてみると、なんとこの瓦ストリートには重要な理由があるみたいなんですよ!

なおみさんによると、実は瓦屋さんはもともと大阪市の中心にあったんだとか。でもある理由で現在の尻無川沿いに移ってきたそうです。その理由とは、なんと「大正橋の完成」だそうですよ!

大正橋って聞いたことありますか?大正区と難波方面をつないでいる木津川に架かっているんですよ。大正4年に完成したこの橋は、当時日本で1番長いアーチ橋だったんですって!絵はがきにもなるぐらいの大きな橋だったみたいです♪

でもこの大正橋が完成したことで、なんと船が通りにくくなってしまったんですって!当時、関西を代表する瓦の名産地は兵庫・淡路島で、瓦は木津川を通って南堀江まで運ばれてきたんだそうです。でも大正橋ができると、船がその大きさから橋の下をくぐりにくくなってしまったんですよね~

さらに、なんと木津川には瓦の運搬船にとってやっかいなものがあったんだとか!一体なんだか想像つきますか?それはなんと、「川面の低い箇所」なんですって!瓦を積んだ船にとっては大問題だったみたいで、通り抜けるのが難しかったんですよ~💦

だから瓦屋さんは、大正橋の完成後に尻無川沿いに移ってきたんですって!ということは、この瓦ストリートは実は瓦屋さんの問屋街だったんですね~!川を使って瓦を運べることが重要だったんですよ♪

大阪の歴史って奥が深いですよね!瓦ストリートにはその歴史が詰まっていたんです!なおみさん、ありがとう~!興味深いお話聞かせてくれてありがとう♪

いかがでしたか?大阪の「謎の瓦ストリート」の秘密に迫ってみましたが、実は歴史に根付いた場所だったんですね~!大正橋の完成が、このストリートの移り変わりを引き起こしたんですって。なんだかちょっと感慨深いですよね♪

次回のブログもお楽しみに!では、またね~!バイバイ♪

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